企業戦略

異業種からスキンケア領域へ、スイス・ネスレの愚直なまでの挑戦

注: 代表・秋山ゆかりが、BeautyTech.jpに寄稿し、BeautyTech.jpの掲載独占期限が切れた過去の記事の全文を公開しています。
この記事は、2017年12月7日にBeautyTech.jpに掲載されたものです。

2017年1月、ネスカフェなどのブランドで知られる食品世界最大手のネスレが、子会社を通じて日本で化粧品通販に乗り出すというニュースが流れた。ネスレの歴史を知らなければ、少し唐突にも思える異業種からのスキンケア分野への参入とうつっただろう。しかし、ここまでの道のりを丹念にみていくと、ヘルスケアサイエンス分野への執念と周到な戦略が見えてくる。日本の美容企業にとって将来の大きな脅威となりかねない歩みだ。

ビジョンを確実に実現させるために、愚直なまでの長い道のりを歩いているネスレ。自分たちの専門外であるヘルスケアサイエンス領域に参入するにあたり、何をしているのかをまずは簡単に紹介したい。たとえば、以下のようなものだ。

■ 向かっている未来は何か。明確なビジョンを掲げ、社員へ浸透させている
■ 食品とシナジーのあるメディカルフードやスキンケアなど、複合領域を増やすことで、企業全体の成長を促す
■ 実現に必要なスキルは何かを明確に定義し、足りない能力-今回のケースは、知見のない領域で事業を立ち上げる事業開発スキルを時間をかけて習得する
■ 小規模のリソースを投資しながら、リスクテイクできる仕組みを作り、社内のノウハウを貯めながら、自社事業として取り込む方法も含め、時間をかけて進化させている

こうまとめてしまうと当たり前のことかもしれないが、これらを5年も10年もかけて辛抱強くやり続け、かつ自分たちのDNAに足りない能力をじわじわとしみ込ませていく方法は、M&Aで比較的短時間に異業種参入する方法とは大きく異なる。そして、先日の記事、「仏ロレアルに学ぶ、戦略的CVCのつくり方」でも書いたように、ネスレもCVC(コーポレートベンチャーキャピタル)を非常にうまく使っている。詳細を解説していこう。

ネスレの食品会社としての苦い経験が大きな転換点

創業者アンリ・ネスレが、母乳が飲めずに亡くなる赤ちゃんのために人工乳を開発したところからネスレの歴史はスタートした。人間の存続に欠かせない栄養供給を使命に掲げたことが、経営理念である。創業から150年以上を経た現在、「生活の質を高め、健康な未来づくりに貢献する」というビジョンを掲げ、ヘルスケアサイエンス企業へと舵をきっている。

いまや世界190か国で30万人以上の従業員がいる大企業だが、経営理念やビジョンを徹底的に浸透させていることでも有名だ。その背景には、1970年代に起きた乳幼児死亡事件がある。ネスレ製品の不買運動に発展したことから、日本円にして1000億円以上の損失を被った苦い経験だ。

実はこの事件は、ネスレではなく消費者側に原因があったのだが、ネスレは再発を防ぐべく会社の大改革に取り組んだ。「社員に求める価値観と行動、心得」「心得の浸透のためのプログラム」などを策定し、全世界で実施している。このようなプログラムをベースに、社内に使命の伝道者と呼ばれるメンターを多数おいて、自分たちはどのような価値観を持っているのか、どのような未来に向って行っているのかを全従業員に理解させているのだ。理解できた従業員がまたほかの従業員に伝えていく仕組みをしっかりつくっている。

2002年にCVCを設立し、スタートアップ事業開発スキルの習得を繰り返す

ネスレは、食品会社からスキンケアを含むヘルスケアサイエンス企業へ舵を切ると決断した際に、InventagesというCVCを設立し、様々なヘルスケア領域への投資を行うことで、その成長スタイルを模索した経緯がある。診断学、健康ビジネスブランド、チャネル、製薬産業技術・サービス、処方薬、OTC、メディカルフード、疾病予防、栄養サプリメントなど、多様な分野に投資をしながら、立派なヘルスケアサイエンスカンパニーと成長をとげた。

その道のりの第一歩としてめざしたのは、スタートアップ事業開発スキルの習得とサイエンス・テクノロジー分野へのアプローチだ。2002年にネスレファンド第1号として、1億5,000万ユーロ(約200億円)を用意し、買収、マイノリティ投資、ライセンシング、及びジョイントベンチャーなど、様々な活動を行った。ハイリスクなプロジェクトや、グループの既存事業にフィットしないプロジェクトをスタートアップ形式で運営することで、リスクを低減させた。こうして、手探りをしながらの形でスタートした。

2006年にはネスレファンドの第2号を5億万ユーロ(約670億円)で設置。科学的基礎研究や、まだ世の中に出ていない事業化手前のいわゆるビジネスシーズへのアクセスに、CVC機能を集中させた。商品が上市前テストの最終段階や、あるいはすでに販売している商品を持っている有望なスタートアップも対象にした。この時点で、傘下に収めたスタートアップ企業の事業サイズを拡大させ、グループ本体に合流させることまでを構想していた。2002年に設立したCVCを4年間の経験を軸に機能を進化させたわけである。この活動の一環として、2006年12月に製薬会社ノバルティスのメディカル・ニュートリション部門を25億ドル(約2800億円)で買収すると発表し、2007年にディールを完了させている。

さらに、ネスレヘルス・サイエンス部門がCVCの支援で商品化を実現させた医療用栄養食品ブランドAxonaをスケールアップするために、ネスレ本体で追加投資を実施。北米での治験を行い、それを足がかりに北米以外の市場への進出のきっかけをつかんだ。リスクのあるフェーズはCVCで投資し、事業化のめどが立てば、ネスレ本体でスケールアップをしていくという筋道をここでうち立てたことになる。

2014年にネスレスキンヘルスS.A.を設立し、スキンケア領域に本格参入

こうしてヘルスケアサイエンス領域に踏み込み、科学的根拠に基づく栄養・健康・ウェルネスの企業として成長を続けるネスレは、2014年に子会社となるネスレスキンヘルスS.A.を設立し、メディカルスキントリートメントの分野に参入した。CVCからの投資ではなく子会社という形で、組織図上リアルに、CEO直轄の新規事業ユニットとして強調・明示した。CEO直轄というのは、従来のビジネスとは異なる領域に打って出る意思の表れだ。

まずCVCを使って異なる領域に投資という形でアクセスし、ネスレ本体との戦略やカルチャーのフィットなどを吟味する。人材をはじめ、事業開発スキルをはじめとするノウハウを吸収しながら、有望と判断すれば、ネスレ本体に取り込み、成長を加速させる。本体に取り込む際、事業部への取り込みなのか、戦略的な新規事業ユニットとしてCEO直轄に置くのかは、事業によって判断する。異業種分野参入のモデルケースとしては、極めて社内外の納得度の高いやり方であろう。

ネスレスキンヘルスS.Aでは、ネスレの乳児用スキンケア事業とロレアルから買収したガルデルマを中心にスキンケア事業を伸ばそうとしている。2017年には、ネスレがグループ会社を通じ、日本国内で化粧品通販に乗り出したニュースが報じられた。ニキビケア商品でトップシェアを誇るガシー・レンカーと合弁会社を設立し、ニキビケア化粧品のプロアクティブ+に注力するというものだ。

背景には、2014年に完全子会社化したガルデルマにより当時展開されていたニキビケア化粧品が、日本市場で存在感すら出せていなかったという事実がある。ニキビケア商品でトップシェアを誇るガシー・レンカーと合弁会社を設立することで、ガルデルマのビジネスにおけるシナジーを探っているのだろう。

とはいえ、現時点での課題は多い。常盤薬品工業のニキビケアブランドNOVや、ロート製薬のメンソレータム アクネスなどの競合をどう制するのか。あるいは思春期でニキビに悩むユーザー以外の層のターゲットを拡大できるのか、医療機関との連携をはかれるかなど、乗り越えるべき壁は多そうだ。しかし、新領域のスキンケア業界での基盤作りを模索している姿は、ここでまた新たな領域へのチャレンジを続けている証である。

創業から150年以上を経ても、世界の食品業界で第2位を大きく引き離すダントツナンバーワンのネスレが、CVCを通じてリスクを取りながら自分たちに必要なスキルを着実に身につけつつ、食品領域で培ったスキルを惜しみなく注ぎ込む。本気でスキンケア分野に攻勢をかけてきたのだ。今は小さくとも、いずれ日本企業にとって、大きな脅威となるだろう。

リスクを取りながら着実に成長できる体制を構築する

ネスレから学べるのは、自社の成長を加速すると見込んだ、自社の強みと関連性のある領域で、CVCによってリスキーな投資に挑戦できる体制だ。彼らの場合、食品とシナジーはあるものの、メディカル領域では自分たちの知見がなかったため、ネスレの中央研究所を主体として大学や専門機関との共同研究を加速させながら、CVCを通じて時間をかけて自社内に知見と経験を蓄積していった。これらの活動によって、医療用栄養食品や治療用の栄養食品領域を事業の1つとして確立したのである。

また、このやり方が奏功したのは、自分たちに不足している機能は何かをきちんと見極めたチームづくりにもある。自社のメンバーだけでなく、不足している専門性は、社外のエキスパートをマネジメントチームに入れることで補ってきた。専門性の高いネットワークを持つ人材に加え、事業開発・戦略の専門家、サイエンスのコア技術をハイレベルで理解できる専門家、コーポレートファイナンスやM&Aファンディングの専門家など、CVCとして必要不可欠な人材をバランスよく揃えた。

そのときの柱である本業の足をひっぱらないよう、リスクテイクをしながら、次の柱となる事業に育てていく領域へじわじわと進出をはかる。そして、1事業として自社の中に取り込んで、市場に攻勢をかける。このしたたかなやり方は、将来の脅威にもなりうると同時に、美容のみならず日本企業が異業種参入を検討する際のモデルになるはずだ。

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